シェアハウス全国行脚 in 愛媛:シェアハウスへの“試住”から移住へ~富永千恵理さん(26)

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新企画・ライターまりものシェアハウス全国行脚。

全国のシェアハウスを巡り、それぞれの「100人100家100色」なシェアハウス生活・コミュニティ作り・人々の生き方をお届けします。

第1弾は愛媛県。東京生まれ東京育ち・シェアハウスへの”試住”から愛媛県松山市に移住した、富永千恵理さんに、生い立ちから移住を考えたきっかけ、シェアハウスでの”試住”生活、松山でのシェアハウス生活についてお伺いしました。

 

ー自己紹介をお願いします。

 

富永: はじめまして。富永千恵理です。東京都江戸川区に生まれ育ち、今年の4月、大学院卒業と同時に愛媛県松山市に移住しました。今は、NPO法人 SHARE LIFE DESIGN(以下、SLD;シェアハウス運営、留学生支援、地域の国際化推進活動を行うNPO法人)の運営する国際交流シェアハウスに住みながら、松山市内のまちづくりの拠点・アーバンデザインセンター松山(以下、UDCM)で広報関連の仕事をしています。

 

富永さんのあゆみ~シェアハウスの“試住”から松山への移住へ

1989年 東京都江戸川区に生まれる
2007年 大学受験勉強のスランプ等からうつ状態に
2009年 1年間の浪人生活を経て、大学へ進学
2014年5月 初めての一人旅―愛媛県・中島を拠点に活動するNPO農音、SLDシェアハウスとの出会い
2014年7-8月 松山市訪問、愛媛県内で運転免許の取得
2015年2-3月 約1か月間、松山へ“試住”
2015年3月 大学院修了
2015年6月 松山へ移住、SLDシェアハウス生活開始
2015年4月 UDCM勤務開始

 

「地域コミュニティーを守りたい」ご近所付き合いの中で育った東京での生活

ー東京での生活はどんな感じでしたか?

 

富永: 東京都江戸川区の実家に生まれ、幼い頃は毎週末のように下町の祖父母の家に遊びに行っていました。私は祖父母が大好きで、特に、ご近所付き合いを大切にする祖父母の影響は大きかったですね。自宅の庭に実った果物をおすそ分けする祖父母の背中を見て育ち、私自身も、地域のお祭りや盆踊りに参加していました。そうした地域コミュニティーを守りたいという想いは、今の松山での生活につながっているのかなとも思います。

 

「うつ病の人間は雇えない」レールを外れたことへの自覚と発想の転換

ー人生のターニングポイントは?

 

富永: 1つ目の転機は、大学3年の就活で「レールを外れてしまった」と自覚したことですね。私は高3の秋に、受験勉強のスランプ等で、うつ状態を経験しているんです。就活時にその話をしたら、当時関わっていた中小企業の社長さん等から「うつ病の人間はリスク高くて雇えない」と言われてしまって。後から考えれば、それはあくまで一部の人の考え方であって、うつ病の病歴があっても就職している方はたくさんいるんです。でも当時の私はそれを知る由もなく…… その時初めて「レールを外れてしまったんだな」と自覚して、落ち込みました。

でもある時、「レールを外れたなら、自分で好きな道を探そう!」と吹っ切れたんです。そこで、大学院に通う傍ら、NPOカタリバやco-ba shibuyaでのインターン、不動産会社のテレアポ等、様々な仕事に挑戦しました。そんな中で、松山との出会いもあり、それが2つ目の転機でした。

 

初めての一人旅―NPO農音、SLDシェアハウスとの出会い

ー松山との出会いのきっかけは?

 

富永: 大学院修士2年のゴールデンウィーク、WEBニュースで、愛媛県・中島を拠点に活動するNPO法人 農音を知ったことがきっかけでした。「面白そう!」と、中島へ、初めての一人旅に出たんです。

SLDシェアハウスとの出会いも、この一人旅の時でしたね。旅程を組む中で、急遽松山に宿泊することになって。ゴールデンウィークでホテルは満室、ゲストハウスかシェアハウスの空き部屋に泊めてもらえないか、と思いついた時に、「松山 シェアハウス」で検索して出てきたのが、SLDシェアハウスだったんです。オーナーにメッセージを送って、何とか空き部屋に泊めていただいて。その時のご縁が、のちに移住の決め手の一つになりました。

2シェアハウスとの出会い・SLDシェアハウスFOUNTAIN

 

松山のゆっくりとした時間の流れと人々の温かさに魅了

ー松山への移住を考えたきっかけは?

 

富永: 松山の、ゆっくりとした時間の流れに惹かれました。東京では、毎日、精神的に忙しく過ごしていることが多かったんです。また、私を歓迎してくれた農音メンバーの温かさや、昼間は農業・夜は音楽活動という、農音メンバーの生き方にも魅力を感じました。

3NPO農音。昼間は農業・夜は音楽活動をコンセプトに活動。

 

ー移住するにあたって不安等はありましたか?移住する決め手になったことは何でしたか?

 

富永: 不安はありましたね。特に、仕事と病院には不安があったので、自分の目で不安を解消しようと。仕事については、一通り求人票を確認し、病院は、シェアハウスのご縁で紹介を受けた先生に実際に受診して「大丈夫そう」と確認しました。

とは言っても、祖父母が高齢なのもあり、移住を決めるまでには、かなり迷いました。移住の決め手は、松山で出会った方の言葉でしたね。「おばあちゃんも親も、やりたいことをやっている娘の姿を見たら、喜ぶと思う。むしろ、家族のことを気にして、やりたいことを我慢しているのを知ったら、悲しむよ」と言われて。「自分の好きなことをやろう!」と、移住を決めました。

 

ー松山での“試住”生活について教えてください。

 

富永: SLDシェアハウスに住みながら、「ここで本当に生活できるのか?」の確認をしましたね。スーパーや市役所、病院の場所、中心街まで出るのに自転車でどれ位かかるのか、等。その中で「シェアハウスは駅から少し遠いけど、交通は便利。車がなくても生活できそう」という実感を得ました。また、SLDシェアハウスの住民とも、この期間に少しずつ仲良くなりました。

 

フリーwi-fiがつないだ仕事とのご縁

ー仕事はどうやって見つけましたか?

 

富永: 実は、移住前には、在宅のアルバイト以外の仕事は決まっていませんでした。今の勤務先(UDCM)とは、松山市内でフリーwi-fiスポットを探す道中、偶然UDCMのフリーwi-fiを拾ったことがきっかけでご縁ができて、定期的にそこの多目的スペースに通うようになりました。UDCMは、松山のまちづくりの拠点で、「面白そうだな」と思って、たまたまUDCMの運営会議を見た時に、思い切って「4月に東京から移住してきて、まちづくり系の仕事を探しているんです」と運営委員の方に話したんです。そこで採用が決まって、受付のスタッフとして働き始めました。今は広報関連の仕事をしています。

4富永さんの勤務先・UDCM

 

ーシェアハウスに住んでみてどうですか?

 

富永: 最初は、韓国人の子と2人でのシェア生活で。2人で話し合って、消耗品や食費は2人で割り勘して、家事も分担して暮らしていました。韓国の子は、私の使うみりんの使い方がわからなかったり、私は、韓国の子が使う水あめの使い方がわからなかったりと、どの調味料を買うかっていうのは意見が分かれたりして、文化の違いを感じましたね。

今はその子が帰国して、実質一人暮らしなので寂しいです。家に帰って誰かが迎えてくれる安心感を、改めて感じています。(※2015年9月現在)

 

ーSLDシェアハウスに住んでよかったな、と思うことは?

 

家具・家電貸出サービス

富永: SLDシェアハウスには、SLDの年会費を納めて家具・家電を貸出すサービスがあります。自分の服と必要なものだけで、すぐに生活をスタートできる状態でした。そのおかげで、物理的な面での移住のハードルは、かなり低かったですね。

 

SLD系列のシェアハウス・大家さんとの交流

富永: シェアハウス内だけでなく、系列のシェアハウス含めて家族のような感覚で、お互いの家を行き来して、困った時には助け合えるのがいいなと思います。系列のシェアハウスでは、World Share Kitchenという各国の料理を楽しむイベントや、Co-Learning Timeという、留学生主催の外国語教室を開催していて、そこで地元の人や留学生と話したりもしますね。

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SLD系列のシェアハウス3棟。手前左:富永さんの住む国際交流シェアハウス、真ん中:社会人向けのシェアハウス、右:87年世代の暮らすシェアハウス

 

日々の生活を丁寧にしたい

ー富永さんが大切にしていることは?

 

富永: 日々の生活を丁寧にしたいと思っています。地域とのつながりを大切にして、自分たちの問題を、自分たちで解決していきたい。その想いが、今のまちづくりに関わる仕事や、シェアハウス内での、住民同士で話し合って問題解決しながら暮らす生活につながっています。

 

「留学生だから」ではなくその人自身として人と接する

富永: 留学生含め、人と接する機会は多いですが、「英語が話したいから留学生と仲良くしたい」「(誰でもいいから)留学生と仲良くなりたい」というのではなく、その人自身として接したいと思っています。誰でもいいから出会いたいというスタンスは疲れてしまうので。1つ1つの出会いを大切にしようと日々心がけています。

 

「富永千恵理」であることが商品になるような生き方をしたい

ー今後の展望を教えてください。

 

富永: 自分らしく生きることが社会的価値になる、「富永千恵理」であることがそのまま商品になるような生き方がしたいですね。そして、「自分が自分らしく生きることに社会的価値があるって誰でもそうだし、当たり前のことだよね。」ということを、より多くの人々に伝えていきたいと思っています。

今は、仕事をしながら勉強もできる環境にいるので、このチャンスを生かして今の仕事を頑張ります。先の将来の見通しは、あえて立てていませんが、その時のご縁と直感と、ワクワクで生きていきたいと思います。

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シェアハウスは第二の家族

ー富永さんにとって、ずばりシェアハウスとは?

 

富永: 第二の家族ですね。 帰ってきて家に人がいる安心感を、ここに引っ越してきて改めて感じました。今後は、読み終わった本をSLDシェアハウスのみんなでシェアしたり、今は新しい入居者の紹介がメインになっているシェアハウスのfacebookをもっと活用したりと、シェアの範囲を広げていきたいと思います。

 

今回お話を伺った方

富永千恵理

東京都江戸川区生まれ、愛媛県松山市のSLDシェアハウス在住。

アーバンデザインセンター松山 勤務

*運営事業者:NPO法人 SHARE LIFE DESIGN

学びと繋がりを育むシェアハウスの企画運営管理、留学生の生活支援、地域の国際化推進の3本柱で活動を行うNPO法人。松山市内を中心に、現在7棟のシェアハウスを運営。(2015年9月現在)